鉄道関連の実物誌で、『乗客にカメラを向けるのはNG』と、その撮影エチケットへの指導の記述は一般的になっており、確かに鉄道会社に於いても注意を払っている様子もうかがえる。この流れは、何十年も前にネットが普及し始めた段階で芸能人の写真を加工して注目を集めようとしたり、最近では芸能人の写真を使って物品や金融商品の詐欺広告を流したりと、テレビ番組でタレントが「迷惑な話だ」と話すことがあったりしています。特に、芸能人鉄道マニアが番組への露出度を増して、知られることが多くなってくると、いわゆる『出演料』をどうする?といった、厄介な話も持ち上がる。 問題になるのは金銭的なところも目立つようなれど、結局は悪用してネット配信によってばらまくところにある。芸能人は駆け出しのころは売り込みで知ってもらってなんぼだからネット活用も上手にこなして自身の営業に役立てる。芸能人の中には、ファッション誌や広告の読者モデル出身の女性などもいらっしゃるのだが、費用対効果のバランスが取れず、大手服飾販売店の一部は実在の人間のモデル起用をやめて、AI でつくりだした生成画像モデルに切り替えたそうで、これから先はファッションモデルからの芸能界への入り口の部分は、閉じていってしまうことになる。アメリカ映画の都ハリウッドでも、俳優をデータ収集に2日ばかり雇って、それをもとに生成した電子俳優に演技をさせる手法が確立して、また映画音楽も、AI を活用した複数の自動演奏プログラムのセッションで作曲を飛び越えて演奏させて収録し、映画に使用した実例もすでに出ています。そうなると、結局は撮影時のモデルさんに出演料を払いたくてもそれだけの価値のある写真(出演料分のお金をその写真が稼ぎ出してくれる見込みがあって初めて出演料を払える。)にならない。昭和の時代の末期に好景気に支えられてアイドルの写真集でも楽園のような南の島のビーチへロケに出かけてはしゃぎまくる快活な少女モデルの写真集を作ることができた。そのまっただ中に青春時代を過ごした私が思うには、アイドルになりたい人が多すぎて、お金をかけた写真集を出す事が、販売利益が出る売れ行きの見込めるプランが成立しづらくなって、其れこそ「国民的アイドル」なんて言葉が生まれた時代の様子はとても戻ってこない。華やかな女優の世界だけではなく、お笑い芸人のタマゴは売れっ子芸人目指してバイトで食いつなぎながら体を張ったネタにまで果敢なチャレンジをしていたり、普段の生活で知らないだけで大変な人数の「売れ待ち」がいるとのこと。昔の歌謡界の『一発屋(有名になった楽曲が一つしかなく、やがて忘れ去られた歌手のこと)』の例を挙げるまでもなく、随分当時は話題にもぼったギャグの持ち主の芸人も、すっかり忘れ去られて名前すら思い出せない…なんて事例は、皆さんにも覚えがあるのではないですか? ドラマ好きの私には、「小林桂樹」 氏の作品は懐かしく「普通のサラリーマン」を演じられる良い俳優だったと思いますし、国民のおじいちゃん として写真集まで発売された「笠智衆」氏の作品は、脚本家「山田太一」 氏の作品にもよく登場していましたし、同氏の作品でなじみ深い「杉浦直樹」氏も好きな俳優さんのひとり。今はテレビ画面で観ない日はない位に有名な、「野村萬斎」氏も、公共放送の大河ドラマの「花の乱」に登場されたときに、「あの俳優は誰だ?」と言って注目をしはじめて、「陰陽師」の映画まで観に行ってしまいました。同じ大河の「日野富子の若いころ」を演じた「松たか子」も、ドラマ『蔵』で好演が評判になりましたし、「緒方拳」の「おろしや国 酔夢譚(すいむたん)」も劇場で観ましたねぇ。 このHPでも、模型で遊ぶ子役の感覚か、「出演料」めいた考えを持つ部分が出てくるのかも? なんて、邪推が出てこぬでもないけれど、それが大人の芸能人のタマゴでも、むりやりな金銭の要求は人的信頼の引き下げ(悪い印象が残る)につながって、その場は支払いに結び付いても二度と呼んでもらえなくなり、出版不況や希望者の増加で競争の激化とか、先のAI モデルの話ではないですが、ただですら道が険しくなってきている現代では、出演の道を自ら閉ざしてゆくことにもなりかねないと思います。 なじみが最近の若者にはないかも知れませんが、マンガの単行本には作者の顔写真が載っていましたが、鳥山明 氏のように顔を明かさぬ人も居て、「クレヨンしんちゃん」の作者もほんの一握りのスタッフしか作者を知らなかったとか(亡くなった時のニュース報道で言っていた。)鉄道模型雑誌では、作品の作者のお顔が掲載されないことが多く、反面公開運転会や模型イベントでの観客の様子は、「盛況ぶり」のアピールのために、漫画家の『手塚治虫』がしばしば描いて見せた『モブシーン(群衆を背景の一部のように描くもの、手描きであり当然豊富な種類の顔や体形を用意するところから、非常に手間がかかる)』のように、大勢の観客の写り込みを排除しない方向性です。ニュースの地方イベント会場でのリポートも、観光地でお楽しみの様子の家族連れも、テレビ画面では顔出しが基本ですし、家族写真や仲間内の写真を写すのには、楽しみが一番に来るわけで、いちいち余白に写り込んだ他人に「写っているが良いか?住所とお名前を…。」なんて、テレビ局とか観光広報部の大組織と同じことなど、一般家庭のお父さんお母さんに出来る話ではないじゃないの? 悪用が嫌という話は分かるし私自身もフェイクで困る場面が来るかもしれないし、今回の熊本の震災でもネット上にはニセの情報拡散が卑劣にも出回っていると、TV報道でも注意を呼び掛けている。悪用の事例は発信源を秘匿するのが常識であって、このクラブHPの場合では、悪いことをすれば一発で足がつくじゃないですか。大規模施設の広告用の設備として大きく宣伝する目的であれば、確かに観光地ポスターのようにモデルを雇って観客を演じてもらう方法も、納得はできますが、趣味で家庭内やその延長線上にて扱う鉄道模型を、その様子について紹介するホームページですから、家族でレジャーに出かけた時の楽しんだ記録として撮影している感覚であって、家庭にカメラやら8ミリ撮影機(無音だが動画撮影できた)が普及していった時の使われかた(撮影の仕方)に準じて、昭和50年代から写真を写してきた方向性を変えないで来ているわけで、その長い歴史の中で写真の悪用で問題を起こすようならとっくにお縄になってしょっ引かれているでしょう。忙しい模型作りの合間を縫ってHPをやったり撮影してみたり、この頃有名な「庵野 監督」が自主製作映画作品で台頭してきたころに、女優の写真集やら映画台本を読んだりした青春時代ですからね。自主映画もそうですが、写したい画とか作りたい作品が第一で最大の行動動機なんです。興行成績を考えたり売れ行きや金銭利潤(つまり、お金儲けの手段の一つ)の目的で行動する訳ではありません。50年模型をやっていますが、売名のつもりはないし、技量の高いモデラーのなかにはマスコミ大嫌い!というタイプも何人か知っており、その理由もよくわかっているつもりです。 写真の写し方で、大規模化に失敗?なんて、とんでもない話で、テレビの番組制作なら、エキストラに全部契約を交わす必要があるでしょうけれど、そんなつもりはありません。大規模化なんて出来る構造になっていませんし、エキストラと契約を交わすほどの労力を割く能力もありません。 私が小中学校時代に調べた鉄道模型のクラブのなかで、名古屋模型鉄道クラブは当時から最大規模で、ヘタな製造メーカーより人数も大所帯という有様でしたから、それを支える考え方や筋道もしっかりとした「理念」に基づいていると思っています。 この文章の掲載もそうですが、模型も鉄道趣味の世界も、次第にやせ細ってきている。現地から遠い三河の地でも、『久留里線』の存廃問題は聞こえてきますし、今朝の地方新聞には、名鉄の御嵩線の廃止問題の記事も載っています。第三セクターのレールバスを全国的に有名にした『樽見鐡道』も存続についての協議が持たれる話ですし、朝の連続テレビ小説でロケに使われた、『留萌本線』も消えてしまう話とか…。手元にある1987年ごろの第三セクター鉄道の写真集には、笑顔の利用客がたくさん写り込んでいる。白井 昭 氏(パノラマカーの生みの親で、大井川鉄道の蒸機運転を毎日運転するまで定着させて、同鉄道の黒字転換を果たした。)が昔の実物誌に、「鉄道は楽しく乗車できるものであるべき」と書かれていた話が希望の光であったようにも思われた。(ただ、アニメ『ガンダムⅡ』のラルの名セリフ「戦いの中で戦いを忘れた…。」ではありませんが、楽しげな観光客の様子につられて気が緩み、思わぬ運転操作の失敗をしてしまう危険は、あるかも?です。そんな失敗のない人が、ベテランと呼ぶにふさわしい印象もありますが…。)豊橋鉄道の東田本線の記念式典に出かけて撮影もしてきたがどこにも出していません。消えゆく街並みや興味深い建物を写したりするのは自分の趣味であって、お金儲けにつながるものではなく、金もうけを目的にはしていない。趣味の鉄道写真とは本来そう云うもので、番組リポーターが放送で流す目的で写す映像とは、根本の性質が異なるもの。そこへ出演者への謝礼みたいな金銭の理屈を持ち込んで、「問題だぁ」と根拠に薄くやりだまにあげて、趣味としての愉しみが損なわれてゆくばかり。ホームや沿線でカメラを持ち歩いているだけで悪だくみを画策する怪しい人物のように見られては、せっかくの愉しみ消え失せよう…。大量輸送機関なんて鉄道の定義にこだわりすぎて、それに見合う姿を目指す姿勢は、赤字ローカル線を救えないことは何十年も前から分かっていたはずじゃないの? JRのシンデレラエクスプレスCMで話題の「牧瀬さん」が主演を務めた映画「つぐみ」その舞台として使用された西伊豆の「つぐみの宿」もいまは閉まっている。岡崎に「モデルバーン」の後継で輸入鉄道模型も豊富だった「アールコレクション」も、白井 完昌さん(TMSに記事多数)と一緒に何度も出かけました。その白井さんとは経済力が違いますからねぇ、あの人の様にポコポコ買える訳じゃなく、増して当時の名古屋の模型クラブは自作の作品こそ仲間に見てもらえる模型であって、「こんな車両を買って来たよ」なんてレベルじゃない。そういうのは好きじゃないから、30年近く在籍してベテランモデラーとも話をしたり、『ケキハ』を題材に玄人とキョーサクしたりできたんです。 昔は、鉄道シーンの魅力で集客に貢献し、赤字路線の存続の道を探るきっかけになればなんて空想もできたけれど、今はそんな自信もモテなければそれ以前に不愉快でやる気にもなれない。小学生時代から運転席のすぐ後ろは鉄道好きにとっては特等席だったのに、魅力すら失われたのでは全く残念な話である。クラブも、ホームページの発信も、『昭和の鉄道好き』の感性に支えられており、それらが消え去るのを遅れさせる作用を持つと考えている。「これからの時代の鉄道趣味の在り方はこうだ!」というご意見も、自分が納得しその方向に進む気にならなければ扱えません。レンタルレイアウトで走らせた購入模型の写真もいくつかあるけれど、それも自分の模型歴の記録の一部として残してあるもので、発表するのは主旨から逸れる(発表することを楽しいとは感じない。)のでやっていないのです。 新会員の募集が停まっているのは、わかい鉄道模型ファンとの感覚の相違を突き付けられる理由もある訳。
小学4年生くらいから入会できる との、鉄道模型のクラブとしては特殊な様式で活動を始めて十年ほど経過しました。かつて、当クラブに所属してさまざまに模型作りを経験した小中学生も、現在の居場所で成人年齢に達しようとしています。恋人と青春を謳歌する時期と思えば、わざわざ模型のクラブ活動への声かけも 野暮天だとも思うのですが、年に一~二度、懐かしく当時の仲間にあいつつ模型の話題で盛り上がるひと時があってもよいのかも…。そのような着想で、かつてこのクラブの工作教室で模型作りをした『OBの会』の結成を、今年度に行なおうと思います。参加も希望せず、関わりたくないお方もおいでかもしれませんので、OB会としての集まり(Nゲージの運転会企画も併せる場合在り/年少ファン含まず)に関するご連絡が欲しい方は、所属当時にお配りしていた会報に記載の住所あてに、ご自身のご住所氏名と、連絡希望なさる旨お書き添えのうえ、お手紙またはお葉書をお送り下さい。折り返しご案内を送らせていただきます。資格は20歳以上です。現在会員の成人の方は、今のままで連絡をさせていただきます。。
◆ 蒲郡線と西尾線の末端区間の存続のために、西尾市と蒲郡市が協力して取り組んでいます。名鉄5000形以降の(Old)SR車
での装いが印象的だったツートンカラーの旧特急色が、西尾市制70周年を記念して 6000形に施され、西蒲線で走行をはじめました。
この旧特急色の初 お目見えは 昭和26年の3850形(故・足立健一氏製作のOJゲージ模型写真の旧塗色右側の車輛)からで、その4両編成版ともいうべき3900形の
第4編成にて、走行機器等の各種テストをおこなって、軽量セミモノコックボディー カルダンドライブの新性能車、ラビットライナー旧5000形の登場へとつながってゆきます。他の車種より早く駅についてしまうために、定刻前に発車せぬよう異例の注意喚起が出ました。
その後、増結用に増備された5200形までは、冷房装置がありませんでしたが、5200形の前面デザイン及び基本窓配置を継承した5500形は日本初の特別料金のいらない冷房電車として好評を博しました。その好評ぶりに甘んじず、名鉄は7000形パノラマカー開発に着手します。
(模型写真左側の車輛が5500形。屋根上にずらりと並んだ四角い箱が冷房装置で、国鉄特急「こだま」とケーシングが違うが中身は同型)
この頃の5000番台特急車を総称して SR(スーパーロマンス)車 と呼んだりしておりました。5500形は冷房装置分の重量増加のため
1955年登場の5000形ほどの俊足ぶりにはなりませんでしたが、1961年登場のパノラマカーは、台車が空気ばねのモノに変わったほかは、
走り装置に関して5500形から大きな変更点がなく、併結しての運用もしばしば見られました。昭和末期の急行型として登場した
(New)SR車こと、5300形と5700形、さらにその先1987年登場の 1000形パノラマスーパーも床下機器の機能構成は変わらず、
特急に特別車と一般席車が出来た最初の頃はパノラマスーパーの一般席車両の製造前で、1000形と5500形との併結運用もありました。
パノラマカー登場の頃は、スカーレットはパノラマカーのみでしたが1965年頃より次の特急色(パノラマ車以外)への模索が始まり、
1970年頃にパノラマカーと同じ名鉄スカーレットに落ち着いて、「紅い名鉄電車」といったイメージが形成されてゆくのです。
5500形の中間車が全廃となって残る先頭車の動向に注目が集まった2003年に、復刻旧塗装となって(Old)SR車の終焉を飾りました。
6000形については、登場時より名鉄スカーレットの単色塗りで、白帯が入ったのも蒲郡線運用が最初です。今回のツートンカラーも
6000形車輌にとってはまさに最初、 そして最後の機会となるでしょう。
クラブ活動の場は、工場の生産現場とは異なります。趣味のクラブ活動で物品の消費は伴いますが金銭経済の成長はありません。
当クラブは製品の販売あっせんなどいたしません。金銭的なもうけを目的としないから、非営利のマニアゆえのクラブです。









